自分は恵まれていることに気づく

毎日の暮らしの中でよく耳にする言葉でも、お経の中では全く違う意味で使われる言葉があります。

その一つが『平等』です。

平等というと例えば、同じ仕事をして同じ給料をもらうというようなこと等がイメージされると思いますが、

 

仏教の教えの中にある例え話があります。

ある日、山に雨が降りました。 山には大きな木から小さな草までのたくさんの植物が生きています。 大きな木の下に生えている草は、 『大きな木に隠れて雨が当たらなかった!』 と不満を言いました!

 

これは私たちの感覚では、『不平等』と言えると思います。

でも仏教の中ではこれは、『平等』だと言います。

雨は山全体に等しく降り注ぎます! でも一本一本の木からしたら、生えている場所によっては存分に雨の恵みを受けられないこともあると思います。 しかし、雨が降ること自体は、平等なのです。

私たち人間の暮らしている世の中も、この山と同じではないでしょうか。

空気や光、時間の流れなど人の力の及ばない大きな恵みは、全ての人に平等に与えられています!

私たちはこの地球、この宇宙に対して、平等な存在なんです。

それを不平等だって感じるのは、あくまでも恵みを受ける側の勝手な都合でしかありません。

私たちは一人ひとりが体格や顔だちが違うように、物事の好き嫌いも得意、不得意も違いますし、頑張り屋さんだったり、おっとりしていたりと性格も人によって様々です。

その違いは平等、不平等とは違うんです。

違いを受け入れて納得した上で、恵みをどんなにふうに受け取り、自らのまたは、人々の幸せのためにどのように生かすかは、その人自身の心の持ちようにかかっています。

方法はもちろん、人それぞれです。

 

全ての人に等しく降り注ぐ恵みに気づかないで、自分のするべきことからも目を背けたままで不平等だと文句を言うのは、非常にもったいないことだと思います。

 

今日も全国的に激しく雨が降り注ぐ一日となるようです。

どうぞ、気をつけてお過ごしください。

 

感謝