自分の個性を受け入れる

『自分の短所を素直に認められない』 という人がいます。

しかし、人間に良いも悪いもありません。 そう考えてしまう時点で、良い悪いという判断をしていることになります。

良い悪いという判断は、非常に主観的なもので、絶対の普遍的な価値ではないんです。

例えば、人を殺してはいけないということは、私たちの誰もが知っています。 でも、これは現代に生きる私たちの主観的な判断です。

もし戦争が起きている最中なら、敵の国の兵士を沢山殺した人が英雄として称賛されることもあります。

もし目の前で自分の子供が襲われていたら、子供を救い出すために相手を殺さなければならない状況があるかもしれません。

そんなときも、人を殺すことは必ずしも悪とはされません。

このように主観的な判断は、時と場合によって良い悪いがコロコロ変わるものなのです!

 

私たちひとりひとりも同じです。

例えば、引っ込み思案で気のきいた会話ができないことを短所だと思っても、そのお陰で人に威圧感を与える心配はありませんし、調子に乗った発言で人を傷つけることもほとんどないと思います。

短期で怒りっぽく、思っていることがすぐに顔に出てしまうことが問題だと思っている場合でも、それは潔癖で正義感が強いことの証拠ですし、裏表のない言葉で周りの人の信頼を得られることもあると思います。

良い悪いという判断を抜きにして、自分はどういう人間なのか、そこを見つめることが大切です。

どんな性質も全部引っくるめて、自分という一人の人間なのです。

悪いところを「認めないといけない」、「直さないといけない」という考えが生まれるのは、良い悪いという、凄く変動的で不確かな価値観に振り回されている状態にあるためなのです。

根拠としている良い悪いという判断基準自体が、常にグラグラ揺らいでいるわけですから、不安や焦りが収まって心が静かになることはありません。

主観的な価値観で人の良い悪いを判断することは、揺れる波の上に立ってバランスをとろうとするようなものです。

だからこそ、良い悪いの判断をするのではなく、良いと思えることも悪いと思えることも、全部が自分の個性であり、自分の一部だと受け入れることが大切だと思います。

 

感謝