世間のモノサシで命を削らない

『あなたは可愛くもないし賢くもない、おまけに背も高い。 取り柄は若さだけ。 その若さがあるうちに結婚しなさい』 と、自分の母親から20歳の頃に言われたクライアント様がいました。

そして、そのクライアント様は母親から強く言われ、お見合いをしました。

25歳になると 『唯一の取り柄だった若さも無くなったんだから、早く結婚しなさい。』

28歳になると、結婚をしない娘に対して母親は 『何か恨みでもあるんですか? お母さんを殺したいんですか?』 と、母親は泣き崩れる・・・。

 

そんなストレス渦の中でクライアント様は聴覚を失って、29歳の頃にはアメリカに家出をしました。

クライアント様は母親の名誉のためにもと言って、その母親は心の底からクライアント様の幸せを願っていてくれたそうです。

ただその幸せは、母親個人の価値観と世間の目を凄く意識したものでした。

それは、結婚できない恐怖というより、娘が結婚しないために社会に認められない恐怖だったのかもしれません。

そもそも結婚は『できる』『できない』と、能力を計る言葉で表すものではありません。

でも悲しいかな、世間はそのくだらないモノサシで判断します。

そして、『できない』と判断されると、自分の存在価値まで否定されたように思います。

そうです。 当事者までもが、そのモノサシで自分を判断するようになってしまうんです。

そして、苦しみます。

 

仮に結婚が『できた』とします。

次は『子供』の有無、子供の通う学校、夫の出世・・・・・ というように、延々と世間の目と比べ続けて、少しでも優位に立とうと思うでしょう!

周りと比べ、見えないモノサシの目盛りの差に一喜一憂し続けて、いただいた命を終えて行くのでしょうか!

そうなんです。 恐怖を作り出しているのは、実は自分自身なんです。

自分で自分を苦しめているんです。

もちろん、生きている以上、社会の基準や世間のモノサシはあると思います。

でも、そのモノサシで自分をムチ打つ必要はありません。

 

結婚を目指して、習い事、お化粧、洋服、アクセサリー・・・・

未だ見ぬ出会っていない対象に、自分をすり寄せていく。

縁が整って出会ったとき、相手はその人の何に惹かれるんでしょう?

その人の実体でしょうか? それとも作り上げられた偶像でしょうか?

後者なら、本当の私を知ってほしいと、別の悩みで苦しむことになってしまうと思います。

他人と比べなくていい世界があります。

そのことにしっかりと、気づいていただけると嬉しく思います!

 

感謝