不幸も幸福も本当の幸せの種になる

皆さんも知っている、イエス・キリストは 『心の貧しい人は幸せである』 と言っています。

これは単になぐさめで言っているんでしょうか?

どうしてキリストは、こんな事をいったんでしょう?

皆さんはどんな時に幸せ、不幸だと感じますか?

 

私は若かりしころに得度受けましたが、その頃は幸せは自分の外にあるもので、その『幸せのもと』が自分に幸せを味わせてくれるものだと思っていました!

でも、寒い山寺の中で極度の空腹の際に一杯のお粥をいただいた時、今までに感じたことのない幸せを感じました。

お粥を一滴も無駄にしないように、全身全霊を込めて匙で救ったお粥の輝き。

それまでは全く気づかなかったお粥の甘さや香り、温かさはのど、内臓、心の奥底からしみじみと幸せを伝えてくれました。

立派な料理があるから幸せなんじゃなくて、それを心から食べたいと願う自分がいて、その2つが合わさった時に初めて、本当の幸せというものが現れるんだと気づきました!

 

幸せは、『為合せる(しあわせる)』《物事を互いにする》 が語源で、もともと『巡り合わせの状況』 を表す言葉だったと伝えられています。

私も幸せになりたくていろんな努力をしましたが、なかなか幸せにはなれませんでした。

それは『為合わせる』という本来の意味を理解しないで、自分だけが幸せになりたいと思っていたからです。

でも実際には、幸せになるのに自分が幸せかどうかなんて、どうでもいいことでした。

必ず相手の状況があって、それと合わさって初めて幸せが生まれます。

このことに気づいてからは、不幸だと周りから思われる状況でも、自分は幸せになれるようになりました。

不幸なことも、誰かと一緒にいたら 『為合わせ(幸せ)』になるんです!

いつも不幸だと感じている人は、他人の不幸にも繊細に共感できるはずですから、他人の不幸を感じたら、幸せになってほしいと祈りながら静かに寄り添ってみてください。

そうやって幸せになっていく他人を見ていると、今自分が感じている不幸は、 『為合わせ(幸せ)の種』だと感じられるようになりますよ!

 

感謝